<第1回> 序章・構成感覚を豊かにする色の宇宙をひらく
何よりもまず音楽をー
”何よりもまず音楽を—”と、その主題や情趣よりも詩の音楽性、つまり構成を重視したのが象徴派の詩人たちです。その「詩はことばでつくられる」という美学は、美術においても同様で、経験的な対象のあらわれを描写するだけではなく、その造形性を問う画面構成のための色彩学や構成学に眼覚めることによって近代以後がひらかれたのです。
この意味では空間芸術 — 視覚的表現は「色と形と質量の構成場」といえます。このうち空間と質料は絵画・デザイン・CG・建築などといった多様な分野を分かつ要件となっていますが、色と形だけはあらゆる表現を貫ぬく構成言語です。—美術が「色と形と質量の構成場」だ、という認識に立ってはじめて専門的・体系的な研究が始まるのです。
実は、体系的な基本といえるデッサンは特殊な題材をかりて、あらゆる造形表現に共通するこの色と形と質量の構成原理を学ぶ方法論にほかなりません。対象場を読むのも、画面構成するのも、色と形という言葉による「読み・書き」なのです。つまり、色彩(配色)感覚と形象(構図)感覚と、それらの構成法を学ぶこと、造形言語と文法という一般普遍的な構成原理を体得しようとするところに、基本の基本たるのゆえんがあるのです。
色彩学・構図構成学は、デッサンに学んだ色価と形象の構成力が、さらに多様な題材や表現内容の世界を展げていく上に必要な、造形要素要因の拡充をはかろうとするものです。無論、こうした創造活動に対応し得る色彩学や構成学は、乾いた配色マニュアルではなく、色の生命、自然の色感による創造的・実践的体系でなければ始まりません。美術体系の構成学の独自性は、この要請に生まれたところにあります。—音楽でなら作曲のための楽典がこの構成学です。
—ともあれ、今日の美術ではこうした造形科学の必然性は常識となり、デザイン用具や油絵具も色彩学的に調律されてきています。美術体系では、「生と学と技法」は一体であり、パレットも構成のための体系的な秩序をもつものとなっています。
こうして色も形も質量も「いかなるモチーフ、いかなる個性、いかなる創造にも働く」ものとなっていくのです。
創と造の色体系
いわゆる創造という概念は、その契機から構想までの内的な「創作(Creation)」の過程と、その具体化である構成「制作(Formation)(造)」との綜合を意味します。
方法論的には、契機や表象や構想は内的な方法の次元であり、質料や空間構成や現実的形成は技術とか手法の次元といます。「色と形と質量の構成場」は、したがってその領域の特性・要請によって内包が異なるのです。
大多数の美術家がいわゆる色彩学や色体系、特に配色論の類を疎んじる傾向があるのは、それらが「創作法」とは対極の、抽象的な、つまり「造」のためのマニュアル(操作の便法)に完結しているからです。なかんずく、色とは何か、あるいはなぜ色か、という根源的な問いに根ざした体系がない。
「創造のための色体系」は、色彩感覚をひらき、自然な色個々の生命とその相互の働きの多様な世界を識り、そして色で感じ想い、思考する創造的システムにひらかれる、といった要請を充して、しかも有機的で単純でなければなません。何故なら、すべては超えて自由になるための方法だから、なのです。「色のことばと文法」は学び、無化されるべきものなのです。
いわゆる実用的な「造」のためのマニュアル大系は、その省力化・合理化によってむしろ逆に、自覚的な内的進化を疎外する傾向さえあります。
創造活動では、色は常に綜合的な実体です。只単に外的な与えられてあるものやことではなく、内的必然に生成する生の表現であり、主客綜合のことばなのです。したがって、自然的な質的統一としての色による必然的宇宙と、有機的な動的原理としての配色法にひらかれるような、創造のための色体系が要請されるのです。
(関根英二 著/色宇宙・配色調和より)
アトリエ・ルボーでは、永年の専門的な実践研究による<美術体系(ルボー・システム)>を、指導のバックボーンとしていますが、これは、美術とはなにか、その基本はどうあるべきか、どう学べば明日の自由な展開を可能にする豊かな感受性・創造性・構成力などが培われるか、などの要請のすべてを含んで生まれたシンプルな体系です。
<美術体系>は、デッサン技法、構図構成学、色彩学、美学美術史、の各分野に亘り、美術の新しい学び方の試みとして、美術科教育学会・日本色彩学会・カラーフォーラムJAPANなどで研究報告され、その資料はCiNii(国立情報学研究所)にも所載されています。
本講座は、<美術体系>のうち色彩学をまとめたテキスト、<色宇宙・配色調和(関根英二著)>よりその内容を抜粋し、随時掲載して行く予定です。