美術史講座 第3回

美術史講座 第3回

No.1 写実主義<クールベの現実>

クールベのレアリスムとその時代

クールベがドイツとの国境に近い小村オルナンから、青雲の志をもってパリに乗り込んだのは1840年であるが、この世紀は現実的にも思想的にも変動の世紀といわれている。
美術界もダビッドからアングルへの新古典主義と、ジェリコーからドラクロアへのロマン主義という二つの潮流が対立の状況にあった。新古典主義は万人の認める美、ギリシャ彫刻の静的均衡を規範として、知的・観念的な主題の作品となる。他方ロマン主義は、知よりも情意で、題材も多様で特殊性を有し個性的である。画面は動的で多彩、文学・詩あるいは歴史の特殊な事象などを主題としている。
クールベが「レアリスム──作品40点」を第一回パリ万博会場の近くで展示したのは1855年、大きな反響を内外に生んだ。新古典主義やロマン主義が支配的なサロン(官展)への批判であり、また特権階級に対する市民階級の台頭とも呼応していた。
2月革命は1848年、パリ・コンミューン1871年、クールベもこれに積極的に参加している。こうした19世紀の大きな動勢には「汝自身の主となれ」という啓蒙思想(Illuminationイリュミナシオン=カント)の主体性、自由精神を高揚する力が働いている。史的社会的価値体系によって抑圧されていた個性・主観・表現の世界も市民階級の台頭と相まって解放される。
クールベのサロン批判には新古典派・ロマン派の別はない。いずれも既定の、与えられた歴史、異国趣味、文学など17,8世紀の主題によっているからである。
「これらの美術家は何だろう。特権階級のための絵師(アルチザン)ではないか。そこには作家の実存がない。美術評論でも知られた詩人・ボードレールの言う現代性(モデルニテ)はまったくうかがえない。」「サロン(官展)一般の動向は「現実」というものに見向きもしない。今日の社会、市民の生活に、実在するもののすべてに興味を示さない。つまり真や実に無関心なのだ。日々の現実を感じとり、働きかけようとする精神が欠如している。」とクールベは感じていたのである。
クールベの「レアリスム」は表現形式や描き方ではない。市民階級の今日を自己の目でとらえ、現代の芸術の価値を提起することなのである。そしてその主題と表現の自由によって、芸術と現実の価値体系を変革することこそが、「※レアリスム宣言」の契機なのである。

 ※パリ万博会場の近くで行った自身の作品展示(歴史上初めての個展と言われている)の目録に記された文章が後に、レアリスム宣言と呼ばれるようになった。

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写実主義 Réalisme(実在論)
Gustave Courbet(ギュスターヴ・クールベ)1819〜1877


構造的写実──「何を(主題)、いかに(表現)」の自由、画家の自律。
古典主義の構成(知)とロマン主義の主題(情意)を実践的に統一。

○現実に見えるものを──
(反古典主義、反ロマン主義)
地に足つけて、自らの眼で見、はだで感じる世界の重さ、動かし難い事実への愛。
真実・実在の価値(こしらえものではない生活現実のドラマ、血の通った市民階級のロマン)。
「自分は現代の言葉と考え方で、今日の生活を描く。詩や文学や歴史にたよらずに、われわれの経験を描くのだ。時代の風俗、理念、動向を私の評価にしたがって翻訳する。つまり生きた芸術をつくるのだ。──絵画はあくまで絵画でなければならない。──クールベ」

○見えるがまゝに──
(反古典主義)
真実はおのずから「ものを言う」──
観念的形式で飾ろうとしない。美化、理想化しない。
あるがまゝの実在の価値を活かす。冷たい客観ではなく、その価値や目的を認識していく見かたが必要。



G.クールベ創造の体系

1. 客体(Objet)
人物、状況、様相、風景・海景など

2. 資質・態勢(Sujet)
レアリスト、ロマンチスト、理想家、社会的存在、市民的生活者としての批判的個性、市民階級の代弁者、特権的存在としての画家。
ゾラ、バルザック、ボードレール等を知る。社会主義者プルードンを信奉する。
芸術至上主義者、自己崇拝者(ナルシスト)、絵は独学。ルーブルで古典の模写をよくす。
労働者革命(2月革命)、パリ・コンミューン参加、1871〜73入獄。後、スイスに亡命、客死、56才。

3. 契機(Motif)
市民階級の実在感[オルナンの埋葬]など、市民的行事。
わが世、われ世界の意識[クールベさん今日は][画家のアトリエ]など、自分と周辺の現在。
市井現実の営為[石工][セーヌ湖畔の娘たち]など、労働者、市民の様相。

4. 表象(Image)
世界観の契機(モーマン)としての生の現実。生命感ある現実の意味・価値を芸術の主題として提起する。アカデミスムの変革の試み。
「汝自身の主となれ」の指標に立ち、自我の主張としての芸術の内容と形式の変革。

5. 意識構造(Construction)
啓蒙思想(18C)の個性と自由への呼びかけは、19Cの市民階級の台頭とともに芸術の価値体系にも大きな変動をもたらす。
時世の主流サロンは、新古典主義とロマン主義という二つの力が支配していた。前者は史的範型による理想美、後者は個性と特殊性を主題とする。
しかしここには最大多数の市民が居ない。少数の特権階級の世界ではないか。エキゾチシスムだ、オリエンタリスムだ、芸術のための芸術だ、と生活現実にあるより多くの人間の感覚、感情、思想が不在である。
この批判から「レアリスム」は、より実践的な(身近な)市井現実を自覚的に主題化し、芸術を現実的社会的に価値づけようとする。
クールベには、新古典主義もロマン主義も、その内容(主題)、形式ともに既知の語られたものであって、少数の特権階級のためのアルチザン(絵師)の世界を出ない、と思えた。──いわば与えられた主題の語り部であって、今日の現実を自らの眼で見ようとしてはいない。
「芸術とは何か」が問題だ。芸術は語るべき何かがあってはじめて表現される。その内容は表現する人間が自らの知情意のすべてで経験した現実でなければならない。表現の形式の前にその内容だ。
「自分は最大多数の市民階級の今日のために描く──」
絵画は内容を表現する一つの方法であって、絵画のために描くのではない。「芸術のための芸術」(ロマン主義が多用した。)ではない。


6. 構成契機(Composition)
「現実に見えるものを──」「羽のある天使は描かない」
主題を成す情況(場)、その主たる像と周辺の事物との組成の全体の実在感・生命感の統一。
主題を構成する主たる要素要因を構図し、それらの主と従、各部の固有形態、固有色の相対性、空間感、質量感などを組織統一する。
ものの表面の現象性よりも場を成す様相、実在性を重視する。
色調は明度主体で対比大、暗部が多い。

7. 技法(Technique)
「見えるがまに──」理想化しない、飾らない、こしらえない。絵画的に描こうとしない。あくまでも主題の表現のために描く。
主題・主部のフォルム(形・色)から従属部、周辺へと展開する。
群像では個々のエスキス(下絵)を空間的に構図し、主題を成すものからものへと外延的に描き進め、固有形態・固有色が形成される。
主題の中心画像とドミナンス(主調色)によって従属的周辺の色調を価値づけていく。
色彩は固有色と明暗が主で、ものの実在感や質量感を成す力として働き、フォルムと一体で構成される。

8. 手法(Maniere)
あくまでもフォルムの重視で、色調・筆勢は形に沿い、ロマン主義のような色の独走はしない。この意味では新古典的であるといえるが、新古典のように筆触を殺した仕上げ(フィニ)はしない。ものの個性と力に沿って筆法は多様であるが、ロマン主義のような情動的なものではなく、「ものごと」の個性・持続性を 強めようとする筆勢である。こうした筆勢・筆触に関する限りは新古典よりもロマン寄りと云える。


9. 表現(Finis,Style)
「汝自身の主となれ」の啓蒙主義以降、批判的世界観は永遠性・真理・超越などといった理念を、宗教によりも自然に求めようとする汎神論(スピノザ)、理神論 (自然神論ボルテール)などにひらかれていく。バルビゾン派と呼ばれたコロー、T.ルソー、ドービニーそしてミレー等もそれである。オルナンからパリに乗り込んで来たクールベとは逆に、大都会パリを離れて自然と現実に里帰りし、大地への深い愛しみを謳っている。
2月革命、パリ・コンミューンに参加して後、万博に向けて作品40点で「レアリスム宣言」を展示したクールベのレアリスムは、美術の社会的現実と価値体系の変革を試みたものである。
「何を(主題)」「いかに(表現法)」の自由・個性の主張である。
その主題と表現の素朴な力強さはまさに啓蒙主義の体現といえる。
このクールベ展は、反ロマン主義運動を起こし、レアリスムを提唱した評論家シャンフルーリの強い支持を得、ゾラや「画家のアトリエ」にも登場するボードレールにも支持されるところとなった。
その「レアリスム宣言」時点、アングルはすでに75才、ドラクロアも57才であるが、サロンが受け入れなかったについては、その主題もさる事乍ら、「画家のアトリエ」「石工」など、技術的に難なしとは言えないのも事実であると言わざるを得ない。
いわゆる写実的な実在感という限りなら、新古典主義のダビッド、あるいはロマン主義のジェリコーもあり、同世代ではコローなどにも新古典的な表現力がみられる。
ついで乍ら、後のロシアの社会派である「移動派」のクライムスコイやレーピンには、万人が認める写実的な卓抜した表現がある。しかし、「自身の主」であって、より自由な個性的世界の表現を試みるクールベとは異質である。

クールベのレアリスムは、主題が直ちに自身の世界観の表現なのだ。この点にこそクールベの手づくりのレアリスムの特権性がある。無批判に外的事象を受容する即物・客観を排し、史観をもって現実とアンガジェ(社会参加)し、場を変革していこうとする働きかけがある。
しかし、クールベのレアリスムの経験的(実在的)実証主義を深化させていくと必然的に、文学におけるレアリスム、ナチュラリスムの、「あるがま、なるがまま」の世界に立ち到る。この次元では、「現実」の変革ではなく、「価値体系」の方を変革しようとするものとなる。(No.2;本然主義 マネ, ドガ, ロートレック)参照。

オルナンの画家は、現実と芸術の変革のための史的現実を踏み出したのである。──レアリスムは生の証なのだ。

(関根英二 著/<創・造>の歩みより)


※作品画像はすべてパブリックドメイン Wikimedia Commonsより出典
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/26/Louvre_Parijs_25-02-2019_10-31-58.jpg
Paul Hermans [CC BY-SA 4.0], ウィキメディア・コモンズ経由で


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